コジモ亡き後のメディチ家は長男ピエロが継いだが、身体が弱く1466年にはもう反対派がフェラーラと同盟して反メディチ戦争を起こす。これは68年に教皇が仲裁して、69年にピエロが死去。そして息子豪華公ロレンツォの出番となる。彼はさらに芸術家を庇護して、諸都市に派遣して安保にも利用する。
しかし翌70年、オスマンはエーゲ海の要衝ネグロポンテをヴェネツィアから奪取する。このときミラノの僭主ガレアッツァは、内陸のヴェネツィア領攻撃を計画したが皆に止められ、72年にはロレンツォは、反対を押し切り、明礬鉱脈のあるヴォルテッラを占拠する。
そして教皇シクストゥス4世、彼は甥リアリオ枢機卿のためにイーモラを買収しようとするがロレンツォに拒否。この金を出したのが教皇からトルファの明礬の専売権をもらっていたパッツィ家@メディチ家のライバル、教皇はその礼としてヴァチカンの金融をパッツィ家に替えた。
実にイタリアの内実というのは、表面は平和だが脛の蹴り合い、一触即発、さらにフランスのルイ11世はナポリを虎視眈々と狙う。その地鳴りが表面化して、イタリアが内乱に陥るのが78年、教皇が手をひいてパッツィ家がロレンツォを陥れようとする陰謀である。
下はプラトンアカデミーの文化人に囲まれたロレンツォ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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