帝国対王国5-突進公敗死ブルゴーニュ分割

ブルゴーニュ公も黙っていたわけではない。援助で政権を取らせた英国を呼び寄せた。フランスを取らせてやると、エドワード4世はカレーに侵攻したが、仏王ルイの蜘蛛の糸は逃さなかった。現地へ急行して、英王に金をやるから手を引けと金銭決着させた。

ブルゴーニュ突進公は一人では戦えず和議を結んだ。なぜなら南進のロレーヌ戦線があったからである。75年11月、ロレーヌ全体を占領した。さらに南進したところへ、ついにスイス軍他低地連合軍と衝突した。76年3月2日、グランドソンの戦いで大敗。傭兵国家スイスは強かった。

そこへ横腹からロレーヌ公が復活し、連敗が続くなかで、ロレーヌ占領隊長が寝返り、77年1月7日、ナンシーの戦いで大敗して、シャルル自身が戦死してしまったのである。

これで動かないルイ11世ではない。待機させていた軍を動員してブルゴーニュへ侵攻。ブルゴーニュ3部会を招集してブルゴーニュのフランス編入を決めた。しかしそれを阻んだのがなんと娘マリー!8月マリーは、神聖ローマのマクシミリアンと結婚し、軍をフランドルに侵攻させた。結局フランドルはハプスブルク、ブングルドはヴァロアと公国は分割され、ここにハプスブルクVsヴァロアの新たなライバルが出来上がる。

下はシャルル突進公の死。どの絵も裸で描かれているが剥がされたのか?

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。