舞台は英国、1469年ウォーリック伯は王位を狙う王弟ジョージに、長女イザベルを嫁がせた。そして7月26日、王の側近を処刑して、王エドワード4世を自分の城に幽閉した。しかしこの挙はロンドン市民の反感を買って一旦は和解。フランスに行ったウォーリック伯は、仏王ルイ11世の後押しのもとで、翌年次女とヘンリー6世の息子を婚約させた。
9月13日、英国に戻ったウォーリック伯は、ロンドン塔に幽閉されていたヘンリー6世の復位を宣言!議会も賛成したので、さすがにピンチのエドワードは、ブルゴーニュに避難した。そこで翌71年1月、仏王ルイ11世は、南北同時にブルゴーニュ公国に侵攻、ブ公シャルルは、英王を援助して71年3月捲土重来させる。エドワードは4月にロンドン入城してヘンリー6世を逮捕、14日ウォーリック伯ら一族をバーネットの戦いで討ち取った。
その2日後フランスからマーガレット前王妃と息子が上陸したが、5月4日テュークスベリーの決戦で、英王が勝利し、ヘンリー6世と息子は処刑され、マーガレットは捕えられた。ヘンリー6世は、実に子供の頃から人に利用されっぱなしの可哀想な人生だった。そしてここに白薔薇勝利で薔薇戦争は終わるかに見えたが、まだ終わらないのだよこれが。
仏王ルイ11世は有利のうちにブルゴーニュと休戦。公シャルルはその時間を使って各国から最高の傭兵を集め、北のフランドルから南のブングルドを繋ぐ、かつての中フランク、ロタンギリアの再現を夢見た。ここで妙な登場をするのが神聖ローマのフリードリヒ3世である。
下はテユークスベリーの戦いで捕えられたマーガレット妃
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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