帝国対王国3-ブルゴーニュ突進公の野望

1465年4月、フランスで反国王の「公益同盟」が反乱、要は放逐されたシャルル7世の忠臣達だった。そしてその背後に居たのが、もうすぐブルゴーニュ公となるシャルルであった。仏王ルイ11世がブルゴーニュに居たときからなじみだったが、どちらも一癖のある人物で、この事件から2人は国をかけていがみあうとこになるが、ともかくこのときは和睦した。

しかし67年、ついにブルゴーニュの最盛期を築いた善良公フィリップが崩御し、「突進公」といわれるそのシャルルが後を継いだ。シャルルは超金持ち国の息子らしく、この繁栄の上に「何かでっかいこと」をやりたかった。とりあえずあのウザいフランス王はやっつけたかった。67年またしても、公益同盟のノルマンディー公とブルターニュ公と共に反乱を起こした。

こちらも予期していた仏王ルイ11世、トゥールに全国三部会を招集して、錦の御旗をもらい、ノルマンディー公の王弟をなだめでギュイエンヌ公にし、ブルターニュ公とも和睦して、ブルゴーニュに向かった。両軍にらみ合いの後、ブルゴーニュ内のペロンヌで和睦することになったが、会談の途中でブルゴーニュ内のリエージュが反乱、さては仏王のさしがねかとそのまま監禁してしまった。

監禁して強引にペロンヌ条約を呑ませ、潔白の証を立てるために、リエージュ討伐に仏王を同道させた。仏王はあっさり応じて釈放、そして自由の身になると条約を無効といって反故にした。68年、突進公シャルルは、英王エドワード4世の妹と結婚して、三国志第3ラウンドが始まる。

下は切手になったルイ11世とブルゴーニュ突進公の幼馴染ライバル

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。