テューダー朝誕生3-英王の恋愛結婚で乱再燃

1461年、フランスでシャルル7世の息子、ルイ11世が即位した、36歳、これは何とフランスの建公ユーグ・カペー以来の年齢という。彼は「慎重王」と称されたが、どちらかというと敵から付けられたという「偏在する蜘蛛」がふさわしい陰謀家といえる。即位してさっそく、彼は父のブレーンを全員クビにして、自分のごひいきに交代させてしまった。

ちょうどその頃、英国王妃ランカスター家のマーガレットが落ち伸びて息子とフランスに帰国帰してていた。英国の黒幕キングメーカー、リチャード・ネヴィルは、フランスに介入させたくないので、ヨーク家の新王エドワード4世の縁談を仏王にもちかけていた。64年春、この縁談が王の義妹とまとまりかけた頃、当人のエドワード4世は、秘密に結婚生活に入っていたという。

英王の恋人は、なんとライバルのランカスター派下級貴族の娘で騎士の未亡人。普通では考えられないが、英王はどうもそういう下級好みだったようだ。シェークスピアは彼女に「王妃になるには身分が低すぎますが、愛人になるには身分が高すぎます」という名セリフを吐かせている。9月29日、この勝手な結婚は当日のミカエル祭で公にされ、周囲を仰天させた。

英王は、嫁の家のウッドヴィル一族を重用し、リチャード・ネヴィルを遠ざけ、ブルゴーニュ公国と親密にした。メンツをつぶされたネヴィルと仏王は結託し、なんと手持ちカードのランカスター家王妃マーガレットを復権させようとする。またしても英仏ブの三国志が形を変えて復活することとなったのだ。なかなか王の自由恋愛は難しい
下は英王エドワード4世の恋愛結婚

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。