シャルル7世は「勝利王」と称され、百年戦争を終わらせ、栄光の時代を復帰させた。財政改革も行い、国庫も豊かにしている。しかしこれは侍従長であり、ジャンヌの戦友であった疲れを知らぬデュノア伯の功績が大きいだろう。なんたって王は1440年頃から愛人にうつつを抜かしていたのだ。
アニェス・ソレルという愛人はこの後フランス王宮に出現する寵妃第一号で、王妃の侍女になるや王宮を闊歩し、ロシュ城を与えられ、知的な彼女は政治にも口を出した。お付きの政商ジャック・クールは貨幣の造幣官にも取り立てられ、世界で最初のダイヤを着けた女性と言われている。
しかしこの浮気は、王太子ルイを怒らせた。1440年起きた「プラグリーの乱」、これはブルターニュ公や、アランソン候まで加わった反乱だが、ここにルイまで加わったのだ。それが鎮圧された後は、寵妃一族の暗殺を計画し、47年王宮を出され、グルノーブルへ行き、領地を半ば独立国にした。
50年寵妃は29歳の若さで急死したが、2005年遺体の解剖で水銀が検出され、毒殺が疑われている。56年、王は軍を出してルイの領地を占領、今度こそ大人しくなると思いきや、なんとブルゴーニュ公国のフランドルに落ち着いた。61年、国王シャルル7世は息子に悩みながら、58年の大波乱の生涯を閉じた。
下はアニェス・ソレルがモデルとなったというジャン・フーケ作「モランの聖母子」ルネサンス絵画の影響が見てとれる
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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