百年戦争24-英国への反乱ルーアン占領

ジャンヌの刑死でもう安全と思った英軍は攻勢をかける。同時にコーション、英軍、パリ大学はジャンヌ魔女論を展開する。ジャンヌが魔女となるのはこのときの名残なのである。そして1431年12月、パリノートルダムでヘンリー6世のフランス王戴冠式のイベントが挙行された。ところがランスの聖油がなかった。おまけにパーティの肉が不味く、贅沢なパリっ子を失望させたらしい。

そしてヘンリー6世もすぐイギリスへ帰ってしまった。例えばアンジュー帝国のヘンリー2世はずっとフランスに居た。廷臣もフランス人、言語もフランス語、そんな時代とは隔世である、英仏はお互いに固有の言語や文化ができていたのだ。

しかし何と、ジャンヌが処刑された当のノルマンディーで、山賊だかレジスタンスだかが始まるのである。1432年野武士の一党が、あの安全だったはずのルーアンを一時占拠した。数日で奪回されたが、皆八つ墓のタタリならぬ聖女を殺した神の罰を感じたはずだ、コワイぞー。さらにレジスタンスは各地に広がり、その力でシャルトルが奪還された。

その年、英摂政ベッドフォード公は、ブルゴーニュとの要であった妻アンヌを亡くした。さらに仏王の寵愛を一身に受けていたラ・トレモイユが、義母ヨランドの手引きでシノン城で襲われ、その後王室から追放、ライバルのリッシュモンが復帰、侍従長にジャンヌの戦友元オルレアン守備隊長デュノア伯が就任、なんと死後ジャンヌクーデターが起きたのだ。

下はルーアンのジャンヌ・ダルク教会の昇天するジャンヌ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。