百年戦争25-聖天使島防衛、仏王パリ入城

1433年、英軍はノルマンディーのモンサンミシェルに猛攻を加えた。大天使ミカエルが建設を命令したという大修道院は、百年戦争で要塞に改造され、1424年からの包囲にもめげず抵抗を続けていたのである。ついに英軍は城壁の一角を占拠し、英軍旗を立てたが、このとき、修道院長ディストゥービル自ら指揮をとり、英軍を押し返した。そのときの英軍大砲「ミシェレット」は観光名物となっている。

ベッドフォード公は戦費ねん出のためノルマンディーに重税をかけたため、反乱があれ狂い無政府状態となった。ここへ来てブルゴーニュ公フィリップもイングランドに見切りをつけ、仏王と交渉を継続することとなる。そして1435年、アラスで英仏ブによって講和会議が行われる。

そのさなか戦局悪化責任を追及されていたベッドフォード公が、ジャンヌの幽閉されていたルーアン城で亡くなった。そして9月「アラスの講和」が成立し、ブルゴーニュとフランス王はこれまでの遺恨を水に流し、同盟を組むこととなった。ジャンヌが望んだ1つのフランスが実現したのである。翌36年、リッシュモン元帥がパリを攻め、なんとジャンヌの攻めたサンジャック門から民衆の手引きで入城した。

1440年オルレアン公シャルル・ド・ヴァロアがオルレアンに帰還した。これでジャンヌの予言のほとんどが実現したのである。「7年以内にイギリスはオルレアン以上のものを失う」という予言は、パリ入城を指すといわれている。フランス全土解放まであと少しだ。

下はシャルル7世のパリ入城

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。