イングランドで普通の裁判をしたら、ジャンヌのこんな申し立ては即座に棄却され、それだけで狂人と見なされただろう。現代の裁判なら、心身障害の疑いと言われる。しかし宗教裁判である。特権的に教会を通さない場合が認められる、それは神からの預言がある聖人の場合である。神ではければ悪魔からだが、ジャンヌは不品行がない。
翌日審理開始、トップバッターは元パリ大学総長で、パリ攻撃が祝日であり、祝日に攻撃してもよいのか?と聞いた。ジャンヌは「お答えしかねます」。かなりつまらん、祝日に攻撃している例などいくつでもある。ジャンヌが「ダメでした」と答えなければ無効。つまりジャンヌの心理的動揺を誘っているわけだ。
第3回審理で、また宣誓の問題で揉める。ジャンヌから「私がしゃべってはいけないと神に誓った誓いを破らせるおつもりですか?」と逆に質問されてしまうのだ。「誓いをしなければ嫌疑を認めることになる」と脅すが、「啓示の内容を話さなくとも審理に影響はないはずです」と堂々と答えられた。
戦うだけの小娘と思っていた裁判官達は、逆に感情的になってしまい、「どうかおお一人ずつ質問してください」となだめられる。彼らが啓示にこだわればこだわるほど、裁判はジャンヌの啓示説明会及びその神学的説明会になってしまう。「牢から逃げることを啓示されたのか?」という質問には、「それを申し上げる必要がありますでしょうか?」裁判的には言う必要は全くない。
下はジャンヌが弁論をしているようなジャンヌ裁判
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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