1431年3月10日のジャンヌへの審問で、「声」から、自分が捕えられるとの啓示が何回もあったと明らかにされている。ジャンヌは捕虜になるのは神の御心なら受け入れるが、早く死なせてくれと願ったとのことだ。すると聖女の声は「すべてを受け入れなさい」と答えた。ただしコンピエーニュで捉えられると知っていたら自分は出撃しなかったと。
ブルゴーニュ候とイングランドは狂喜したのは言うまでもない。しかしそれよりも熱意を見せたのはパリ大学のようだ。さっそく異端審問をするからこっちによこせ、と手紙を書いている。どうやらジャンヌ裁判のアイデアを出したのはイングランドではなく、彼らなのだろう。彼らにとっては、神の名を唱えて勝利するいまいましい田舎娘など苦もなくひねれるはずだった。
ここで登場するのが悪役、ピエール・コーション60歳、元パリ大学学長。彼は現世欲の塊で、早くからブルゴーニュ公に取り入って、ヘンリー5世がフランス王になるというトロワ条約の起草に関わり、そのおかげでパリを得たブルゴーニュ候の手先として、反対派をことごとく裁判によって処刑し、いわばパリ支配の代官となっていた。
その功績によって、コーションは念願のボーヴェ司教を手に入れて数少ない聖職貴族の地位を得ていた。また彼は英摂政ベッドフォード候の側近ともなり、ジャンヌが出て仏王側が復活すると、ヘンリー6世自らフランスに出陣するようベッドフォード候名代としてロンドンに出向いて交渉し、「イングランド枢機卿」と異名をとるほどだった。日本の時代劇も真っ青のクソ坊主+悪代官である。
下はピエール・ドラルーシュ作「ジャンヌとコーション」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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