ジャンヌは、忠実なことに一緒に捕まったジャン・ドーロン兄弟とともに、ノルマンディー地方のボーリュー・レ・フォンテーヌ城に連行された。そこへたまたまブルゴーニュ候の妻イザベルが訪問し、彼女の命令でボールヴォワールに移送された。しかしその前にジャンヌは第1回目の脱走を試みて失敗したようだ。
ジャンヌはこの城で奇しくも3人のジャンヌという貴婦人に厚遇を受けた。その一人がジャンヌの身柄の責任者であるジャン・ド・リュクサンブールの叔母であり、彼女達は、ジャンヌに婦人服を着せようとしたり、またイングランドに引き渡すのを阻止しようとしたらしい。しかし悪僧コーションがイングランドとブルゴーニュの間で動いていた。
コーションはイングランドに、パリ大学が異端審問をやると申し出て、一方ブルゴーニュへは、身代金を1万リーブルまで吊り上げられると言っていた。ジャンヌはほぼ毎日聖カトリーヌに説得されており、運命を受け入れイギリス人に会え、と言っていたとジャンヌは裁判で言っている。しかしジャンヌはそれを納得せず、幽閉された塔から飛び降りて脱走しようとして失敗した。
フランスでは、捕らわれのジャンヌのために、オルレアンはもとよりあちこちで祈りが捧げられた。しかし仏王はまったく動いた形跡がない。結局10月にブルゴーニュ候は1万リーブルをイングランドから受け取り、ジャンヌは12月頃運命の地、ルーアンに移送された。結局一番動いたのは、イングランド=ブルゴーニュ同盟を壊されたくない悪僧コーションのようだ。
下は脱走しようとするジャンヌ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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