オルレアンの少女21-次の目標はランス戴冠

後付けでは何でも言えるのだ、例えば日本でも桶狭間の戦いなどは何度もとりあげられる。オルレアンの勝利は、英軍が包囲で手薄になったところを奇襲して落としていったことだが、これだけ早く本陣を落としたのはやはりジャンヌの力である。敵の目前で涙を流したり、戦さの前から心理戦で勝利していた。しかしオルレアン勝利まで8日、8は上下がクロスし「キリストの数字」と言われる、いやできすぎだろう。

オルレアンの勝利はパリに留まらず、ヨーロッパ中のニュースとなった。この発信源は、ヨーロッパ中に支店を構えていたイタリア商人らしい、現代でいえばブルームバーグニュースというところだろうか。そしてやはり噂は尾鰭をつけて「誕生の朝村の鶏が一斉にけたたましく鳴いた」とか、ジャンヌ神話が出来上がった。この噂は、今後ジャンヌの有利にも不利にもなるが、裁判には反映していないのはさすがといえる。

本人といえば、もう5月11日にはロシュでシャルルに拝謁している。シャルルはどんな気持ちでどんな応対をしただろうか?少なくともジャンヌは全く恭しく、少しも偉ぶることはなかったと記録されている。そしてジャンヌは、さっそく残りのもう一つの仕事「ランスでの国王戴冠」を提言した。

将軍達は、皆この勢いを駆ってパリ方面への進軍を提言した。しかしジャンヌは「神の御心ではない」と言った。戦略的には、確かにランスで戴冠することは、国王を正式宣言することで、正統な権威を示すことになる。しかしそれからジャンヌとシャルルの関係は激変する。そんなこととは全く2人共わからない。ともかく今はジャンヌの言うなりである。

下は最初にジャンヌ・ダルクが書かれた絵もちろん想像

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。