オルレアンの少女20-英軍退却オルレアン解放

オルレアン軍はジャンヌの予言通り、夜にはロワール川に仮橋を渡して街に凱旋することができた。今まで数カ月絶体絶命に追い込まれた中で、ジャンヌが現れるや否や8日で勝利を得てしまったのだ。これを神意と言わずしてどうしよう。街の鐘という鐘が打ち鳴らされ、街民は皆礼拝堂で「テ・デウム」を歌った。

ジャンヌは、隊長達と陥落した砦を、傷の手当てを受けながら守り、反撃の意図がないのを確認して街に戻った。翌5月8日日曜日、英軍は残った砦を取り壊し、街道沿いに整列した。すわ反撃かと、オルレアン軍は外に出て、1時間は睨みあった。仏軍は自信満々ですぐにも戦闘を始めたかったが、ジャンヌが許さなかった。やがて英軍は踵を返すと撤退していった。

この街が完全解放された日がジャンヌ・ダルク祭の最終日となっている。全軍は歓喜して街に凱旋し、街はそれ以上の歓喜で迎え、盛大な蝋燭行列が催された。市民は兵士を完全には信用していなかったが、今やお互いに抱き合った。ジャンヌが奇跡のように、聖戦士の軍に変えていたのである。

シャルルの元へは伝令が逐一出て行った。彼はその状況を味方の町に知らせていたのである、しかし今回は大勝利に継ぐ大勝利の報が伝わり、彼は書いたあとに追伸で手紙を修正しなければならなくなった。その大喜びぶりがわかる。この報は敵方であるパリにも10日には伝わり、ある書記がそれを記した日記に、ちょっとした想像で乙女のマンガを描いた。これが残っている最古のジャンヌの絵だが、もちろん本人の姿を反映していない。

下は映画の撤退シーン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。