オルレアンの少女15-落城寸前のオルレアン入城

オルレアンはロアール川北岸の街、川に面して堅固な城壁と5つの門を持ち力攻めはなかなか困難。イングランド軍は対岸も含め9つの砦を築いて兵糧攻めをした。しかし完全とはいかず、東のブルゴーニュ門だけは通行することができた。1429年2月12日の食糧奪取を狙ったニシンの戦いに負けてからもはや食糧も尽き落城寸前といえた。

実はイングランドと同盟しているブルゴーニュ派へは降伏するとの打診をしている。ところがイングランドはそれを認めず、完全奪取を狙ったのだ。完全奪取しておかないと、南へ攻めたときに退路を断たれる恐れがある。司令官ジャン・ル・バタールは後にデュノア伯と呼ばれるが、彼は捕虜になった領主の異母弟である。

そこへ神の乙女に連れられた援軍が来るという、この司令官の記録こそがジャンヌについて書かれた最初の記録である。彼は2人の使者をシノンに送って市民の前で報告させている。司令官のほうは、そのときあまり頼りにならないと思ったと証言している。ところが市民のほうは、「もはや神に頼るしかない状況」だった、とこれも彼の証言。

ジャンヌの援軍は、彼女に内緒で、敵の砦を迂回して東の対岸に着いた。守備軍は、牽制のために1つの砦を攻撃し、その間司令官が迎えた。ジャンヌはなぜ敵を避けたのかと、カンカンになって食ってかかった。「それが最良だ」と言っているとき、今まで逆風だった風向が不意に変わり、渡河ができるようになった。その時司令官は、彼女に希望を託すことができるかも、と思ったという。
下はオルレアン包囲図。赤が英軍の砦街の周囲に砦をつくり兵糧攻め

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。