ポアティエに行く前にジャンヌは重要な人物と会っている。アランソン候として歴史に残るジャン2世である。彼は王太子と歳も近く当時はイングランドの捕虜だったが、身代金を支払い終わるまで戦わないと誓約していただめここに居た。やはり彼もジャンヌを見たかったので挨拶をした後しばしば話をしてジャンヌの心強い戦友となる。
ジャンヌのほうは彼を「いとしの候」と呼ぶようになり、シェークスピアの劇では彼の子を孕んだこととなっている。ジャンヌの悲劇は、候がジャンヌと親密な戦友になっていったことに起因する。アランソン候の証言では、このときすでに侍従長ラ・トレモイユとも会っており、ラ・トレモイユはジル・ド・レエにジャンヌの監視役を命じるがミイラ取りがミイラになり、ジルの運命は狂ってゆく。すべての始まりがここにある。
ともかくジャンヌは候から馬一頭プレゼントされ、それに乗ってポアティエに行くこととなった。ポアティエでは学者、聖職者のインテリからジャンヌは尋問攻めにあった。ジャンヌを導いた光と声についても詳しく質問されている。
とりわけ学者達を感銘させたのは「神がフランスを救いたいなら兵士など必要ないのではないか?」という問いで、ジャンヌは「神の御名において兵士たちが戦い、神が勝利を授けられるのです」と答えた。そして「神から送られたというしるしはオルレアンでお見せする」と請け負ったのである。よほど訓練を受けた聖職者でなければ即答は無理である。皆感動を受け、信仰に反する悪いものは何一つなく、オルレアンに派遣するよう進言することにした。もちろん処女検査も合格であった
下はポアティエのジャンヌ・ダルク像の周りで気勢をあげる現代のジャンヌ達?
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント