護衛と道案内人がついたとはいえ、ヴォークリールから王太子の居るシノンまで敵中を突破しなければならない。行動は基本的に夜間、ジャンヌは皆を励まし続けたという。ジャンヌは寝るときも男達と一緒だったが誰も性的衝動に駆られる者は居なかった。「彼女の言葉と彼女への神がかった愛情で火の玉のように燃えていた」と証言している。
シノンまでは11日かかった。着いてからもジャンヌは、王太子側からいろいろ質問を受けた、彼女は自分の使命を話し、「私以外にフランスを救える者はいません」ときっぱり締めくくった。それをきいた王太子側は、狂人を追い返せという意見と一度会ってみれば、という意見に分かれた(記録がある)。王太子には信頼するボードリクールからの手紙が着いており、少なくとも会う価値はあると思ったようだ。
1429年3月初旬午後7時ごろ、ジャンヌは宮廷の大広間に通された。記録には騎士300人が居たとある。しかし多分侍従長あたりの入れ知恵だろう、玉座には替え玉が座っていたのである。ところがジャンヌは、騎士にまぎれている王のもとへすすみ、「いとも貴き王太子殿下、あなた様と王国をお救い申し上げるべく、神様より遣わされやってまいりました」と口上を述べた。
王太子は「私ではない、玉座におわす方だ」と言ったが、ジャンヌは「神にかけて王太子様、あなた以外ではありません」。そして王太子だけに言う秘密の言葉を預かってきているという。いやもう押しに押しまくられた王太子は、側近の制止もきかず、2人だけの対話をすべく別室に入ってしまった。
下はリュックベッソンの映画より王太子発見シーン。シャルル7世のジョン・マルコヴィッチがすごくいい味出してた
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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