ジャンヌのナンシー行きの頃、ジャンという従士がつくようになった。この者はヴォークリールの兵士で、彼女をからかったのがきっかけと証言している。しかし彼女の言うことを聞き、それが「神様の命令」ときいて、ジャンヌに従うと誓いを立てたのだそうだ。そして彼の手助けで、ジャンヌは男装をすることになる。
ナンシーから帰ってくると、街はますます熱狂していた。隊長ボードリクールはとうとうジャンヌを王のもとに行かせることにした。なぜかというと、「戦いを仕掛ければ負ける」とジャンヌが言っていた通り、1429年2月12日、オルレアンでイングランドの輸送部隊を襲った戦い(「ニシンの戦い」)でフランス軍が惨敗したからである。予言が当たったのだ。
その頃にはヴォークリールでは、同行希望者も出ており、立派な小隊ができることになったからたいしたものである。地元の人からもっと立派な服と馬も贈られた。さらに王太子に手紙を運んでいた伝令士もつけて安全を確保した。
ジャンヌの男装は、処刑裁判で大きな争点だった。当時は服装はその社会的地位を表すもので、女性は女装が決められていた。ジャンヌは声の命令ということで男装を脱ぐことを一貫して拒否した。隊長は念のため、司祭に悪魔祓いの儀式をしたが、ジャンヌはもう司祭からミサに与っていたのであった。
下は王太子のシノンに向け出発するジャンヌ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント