ジャンヌ・ダルク、彼女ほどさまざまにとりあげられた女性は珍しい。現代に至っても映画でリュック・ベッソンは、イスラム聖戦士のように描くと思えばMe Too運動にも関連している。実は彼女ほどわかっている中世人は珍しいが、彼女ほど違うように解釈された女性も居ないのだ。
カトリックではもちろん聖女だが、プロテスタントでも聖職の権威を否定したと評価。フランス右派のルペンが讃えれば、左翼も人権派も、権威にただ一人立ち向かった英雄とする。実に、墓のないジャンヌにそれぞれ勝手な墓碑銘をつける、と皮肉られる所以である。
生前にも詩人に謳われたジャンヌが、グローバル化するのは、実はシェークスピアの「ヘンリー6世」彼女は敵役で、当時の偏見そのまま魔女として描かれる。これがサブカルまで描かれる基となっている。これがフランスに逆輸入され、1762年啓蒙思想家ヴォルテールは中世の迷妄の象徴として面白おかしく描いた。
しかし一転、ナポレオンは「フランスの独立が脅かされるときには、優れた英雄が出て必ず勝利をもたらしてくれる」と、自分になぞらえて高くもちあげた。国民的英雄像はここで描かれたのである。
下はヘンリー6世の挿絵おどろおどろしいジャンヌ・ダルク
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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