イタリアの春2-ブレネレスキのリベンジ

フィレンツェとミラノは北イタリアの先進都市のライバルだった。1397年、ミラノはトスカナ地方に侵攻し、フィレンツェを包囲。しかし1406年にはフィレンツェはトスカナ地方を奪回した。共に発展した都市でありながら正反対。フィレンツェが共和制ならミラノは貴族寡頭政である。

文化的にも、ミラノは帝政ローマの承継を標榜すれば、フィレンツェは共和制ローマという具合である。そしてミラノが鋭角的ゴシック様式の大聖堂なら、フィレンツェはいやでも反ゴシックの建築をつくる。サンタマリアデルフィオーレ、以後フィレンツェの象徴となる花の聖母大聖堂だ。

この建築は1296年から始められていたのだが、肝心の大円蓋の建築方法がわからなかったというから呆れてしまう。何せ内径43mを55mの高さにつくるのだ。1418年、この円蓋のコンペで再びギベルティとブレネレスキが対決した。フィレンツェを離れてローマで建築の修行をしてきたブレネレスキは、ここで見事捲土重来を果たした。

そのアイデアというのが、円蓋を2重構造にして重さを減らして、積むレンガを盾横組み合わせてサンドイッチ方式にするということだった。ブレネレスキは、建材を吊りあげる重機まで開発したのである。こうして34年当時としては超特急の速さで、この大聖堂は完成した。以後フィレンツェはたくさんのライバル物語を生むこととなった。
下は内側から見た大天蓋

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。