イタリアの春1-フィレンツェの天才競作

イタリアのある都市ではいよいよ後世「ルネサンス」といわれる現象が開花しつつあった。聖カタリナのおかげで教皇と和解したフィレンツェでは、1378 年下級市民の蜂起「チョンピの乱」が勃発。この都市は共和制とはいうものの、商工組合に加入している3000人しか選挙権がなく、中でも富豪に権力が握られた不満が爆発した。

この時統領だったサルヴェストロ・ディ・メディチは国外追放されたが、メディチ家は民衆の人気を獲得し、息子ジョバンニは家業の金融と毛織物にせいを出し、メディチ家は再び閣僚に復帰する。金融の半分はヴァチカンで、各国から集まる巨額の献金の両替であった。現在ではロンドンやニューヨークが、金融で発展して多国籍文化の華を咲かせているが似たようなものである。

市は下級商工市民の不満を和らげるため、町の公共建築のコンペを行った。ここで選出されれば名誉となる。いわばフィレンツェドリームというわけだ。ますます現代と変わりがない。1401年、サンジョバンニ洗礼堂を飾る青銅浮き彫りのコンペが町の話題をさらった。注目は若手のギベルティとブレネスキである。

ゴシック様式を脱した双方の作品は甲乙つけがたく、審査員は2人の合作を提案した。プライドの高いブレネスキは合作を辞退、親友ドナテッロを連れてローマをめざす。そしてギベルティが完成させたのが「天国の門」である。ギベルティはメディチ家の庇護で制作を続け、コンペ方式は次々と天才を輩出することになるが、このライバルはもう一度対決するのである。
下はブレネスキとギベルティのコンペ作品

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。