前宗教改革5-フス戦争でボヘミアの荒廃

フスの火刑はかえってボヘミアの騒乱を助長してしまった。ヴァーツラフ4世はプラハ市参議会からフス派を追放したが、これが契機となって1419年、ドイツ人市長と市議員全員を窓から放り出すという「プラハ窓外投擲事件」が勃発した。このショックで王は亡くなってしまい、弟で神聖ローマ皇帝ジギスムントがボヘミア王を宣言した。ところが、フス処刑に手を貸した皇帝をフス派はボイコットし、ここにフス戦争が始まった。

皇帝はフス十字軍として2万人の兵を連れて攻め込んだが、ここに立ちはだかった男が居た、ヤン・ジェシカ又の名を隻眼のジェシカである。彼は元傭兵で、ヴァーツラフ4世の軍事顧問となっていたが、非常に戦術に優れ、チェコのフス派を国民軍のような規律ある軍にまとめあげた。政治的目標も「プラハ4カ条」として、皆が団結したのである。

すでにゲリラ戦を展開していたジェシカには戦争準備万端。しかも彼は馬に曳かれた装甲戦車を発明し、火縄銃まで装備していたのである。プラハのヴィシェフラドの丘をめぐる戦いで、舐めた十字軍騎士の突撃は、クロスボウと火器の攻撃と戦車の突進にパニックとなり、戦車の後についてきた歩兵に降伏も許さず殺害され、大敗を喫した。

その後も十字軍が組織されて戦争は続いたが、他国の攻撃を撃退すると、ボヘミア内部で急進派と穏健派に分かれてしまい、今度は国内が混乱することとなった。1424年、頼みの司令官ジシュカがペストのため没すると、各派の統制もとれなくなり、穏健派はカトリックと交渉し、1431年のバーゼル公会議で交渉が行われ、34年リパニの戦いで急進派が大敗し、36年フス戦争は終結し、黄金のプラハは荒れ果ててしまった。

下はフス派の戦車

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。