聖都陥落5-メフメト1世オスマン再建

15世紀初頭はどこもかしこも混乱期である。オスマンはこの10年間息子達がスルタン位を争ったが、ビザンティンにしても、あちこちの領主を支援してその混乱を長引かせる力しか残っていなかった。欧州はというと英仏百年戦争に加え、キリスト教が分裂しており、十字軍を送る力はなかったのである。

そして1413年、メフメト1世によってようやくオスマンは再統一された。しかしこのときは領土はかなり削減されていた。彼は即位を支援してもらったため、ビザンティンと講和を結び、ビザンティンにも平和が訪れた。また彼にしてからが、バルカンとトルコ半島での領土回復や反乱の防止でせいいっぱいだったのである。

1416年にはヴェネツィア海軍との戦闘があり、これを撤退させたので、ダーダネルス海峡の制海権を確保した。これでようやく大きな敵の侵入を食い止め、政権は安定し、1421年に崩御。後を継いだ息子ムラト2世を経て、オスマンは強国となっていく。

ムラト2世もまた、ビザンティンと同盟関係を守ろうとしたが、皇帝ヨハネス8世が、ムラト2世の父の兄弟を対立スルタンとして擁立して、よけいなちょっかいをかけたため、スルタンは同盟を破棄してコンスタンティノープルを包囲した。その後ビザンティンはオスマンに臣従することになり、運命はもはや風前の灯となった。

下はメフメト1世と高官達

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。