1413年、イングランドではいよいよヘンリー5世が即位する。しかし実は当日は大嵐に見舞われ、不吉との噂が立ったのだ。その通り、新王の無二の戦友オールドカースルにあの異端ウィクリフ主義者であるとの疑いがかかった。カンタベリー大司教に審問を受けても親友は逆ギレ、ついにはロンドン塔を脱出して反王、反教会運動を組織してとうとう火刑になる、という幸先悪いスタートを切ったのである。
しかし名誉挽回とばかり、王はフランスの混乱を見て、ブルゴーニュ派と手を組み、シャルル6世の王女カトリーヌに結婚を申し込み、その代わりとして王位継承権、かつての英領地及びジャン2世の身代金を要求した。もちろん交渉は決裂し、15年8月英王はフランスに侵攻し、10月25日カレー南のあジャンクールの戦いで決定的な大勝をゲット、フランスの半分を制覇した。
1420年、英仏はトロワ条約を結び、英王はフランスの北半分を領土とし、シャルル6世の現王位は認めるが、英王の次期王位継承権を認めさせた。そしてトロワで堂々と結婚式を行い、意気揚々と帰国した。このまま時が過ぎればヘンリー5世のもとに英仏が統一されるのは火を見るより明らかに見えた。
しかしアルマニャック派が王太子シャルルと組んで、スコットランドも引きこんで思わぬ抵抗、ボージェの戦いで英軍が敗北。ヘンリー5世は再上陸してパリ北東のモーを包囲するが、仏軍は8か月ももちこたえ、その間流行した赤痢に罹って、英王が1422年8月、35歳の若さで崩御してしまう。あとには生後9カ月の息子が残った。タッチの差というか、10月にシャルル6世は崩御した。この2カ月の差で、ヘンリー5世は仏王になれず、いよいよ戦争は泥沼化して、歴史に燦然と輝くヒロインが登場となるのである。
下は名優ローレンス・オリビエ主演映画ヘンリー5世のアジャンクールの戦い
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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