百年戦争21-戦争第二幕前英仏の混迷

ランカスター朝を起こしたヘンリー4世は、血筋から言うと王位簒奪にあたり、議会との関係から言うと正統な王という極めてあいまいな地位だった。王はリチャード2世派貴族と戦い、次には仲間のパーシー一族と戦うことになった。この戦いも王位継承順位が複雑に絡んだ戦いだった。結局1403年、シュールズベリーの戦いでパーシー一族を破った。

一方フランスはというと、シャルル6世の発病後、王族の合議制で国政を計ることには決まったが、ブルゴーニュ公フィリップとオルレアン公ルイがイングランドとの関係や、教会大分裂での支持をめぐって対立するようになった。しかもシャルル6世王妃イザボーが、オルレアン公の愛人になるという有様である。

1404年ブルゴーニュ公が逝去し、息子ジャンが継いだ。ジャンは武断派で、パリに進軍し、07年オルレアン公を殺害してしまった。そして娘を王太子ルイと結婚させて、ルイを摂政とした政権をつくった。対して反ブルゴーニュはアルマニャック伯ベルナールのもとに結集し、その後アルマニャック派と呼ばれるようになる。この両派はついに武力衝突まで起こすことになった。

フランスの対立の中で何とどちらもイングランドを呼び込もうとするのである。しかしヘンリー4世はとてもフランス遠征できる状況ではなく、しかも英王は癩病を発病し、臣下にも会えない状況だった。1413年、ヘンリー4世はついに崩御し、百年戦争は新たな局面に入ることになった。

下はシュールベリーの戦いのヘンリー王子(5世)とファルスタッフ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。