百年戦争20-チョーサー英国文学を創始

イングランドのリチャード2世は優れた知性の持ち主でチョーサーを庇護した。チョーサーは、外交官としてジェノバやフィレンツェに赴き、デカメロンに触れ文学に触れて帰国し、そのイギリス版「カンタベリー物語」などをつくり、イギリス文学の土台をつくった。

リチャード2世は、ワットタイラーの乱から2年で親政に着手し、自分の派閥に権力を与えていった。が、これは反対派を生み、諍いが絶えなくなった。フランスとの戦争どころではなくなったのである。そこで1394年に、王妃を亡くした英王は、フランスのシャルル6世の7歳の娘、イザベルオブヴァロアと結婚した。

フランスとの関係を正常にして、王は反対派を次々と追放した。ノッティンガム伯モウブレイと、ダービー伯ヘンリー・ボリンブログは、一旦罪を許しておきながら、また決闘させて、次は決闘の場になって中止させて国外追放にするという気まぐれなところがあった。こうしたことが反乱をよびおこす。

1399年、叔父ランカスター公爵ジョンオブゴーントが亡くなると、この大所領を没収した。息子ヘンリー・ボリンブログは反乱を計画し、王がアイルランドへ出兵する間に帰還し、反乱軍は6万から10万に膨れあがった。リチャード2世はウェールズで逮捕されて、ロンドン塔に幽閉され、9月28日に廃位。ヘンリー・ボリンブログがヘンリー4世として即位し、リチャード2世は1400年2月14日幽閉のまま亡くなった。
下は映画「カンタベリー物語」

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。