1414年に開催されたコンスタンツ公会議は、結局すったもんだのあげく、これまでの3人の教皇を皆退位させ、新たにマルティヌス5世を選出した。ようやく教会分裂は一旦終息したが、教会改革はないがしろにされ、異端取締りの権力が強化されたため、その後の分裂=宗教改革につながっていく。
そしてこの公会議で、タンネンベルクの戦いに敗れたチュートン騎士団が、十字軍の夢よもう一度、とポーランド問題を持ち出した。曰く、ポーランドは異教徒を雇って、異教徒と対決しているキリスト教の最前線プロイセンを侵略している、ポーランドに対して武力で征伐せねばならない。しかし、ポーランドも、クラコフ大学学長、パヴェウ・ヴウォトコヴィツを起用し、先進的な反論を行った。
彼はここで、異教徒は権利をもたないという十字軍の思想そのものを批判したのである、なぜならば神はすべてのものを創造したからであって、異教徒といえど神=教会の愛のもとにあるからだ、と。彼は初めて人間の「自然権」を表明し、異教徒に対しても、これを犯すことができない、とプロイセン批判を通じて、十字軍思想そのものを批判した。
しかしプロイセン側も、ハイデルベルク大学のヨハネス・ウルバッハを起用して反論を行った。教皇マルティネス5世は、結局ポーランド側の主張を退けたが、攻撃もさせず、ポーランドとの平和を求めた。この論争は、プロイセンの存立基盤を揺るがすものであり、その後ホーエンツォレルン家まで衰退することとなった。他民族や他宗教も含めて人間皆平等であるという思想は未だに実現しておらず、現在危機に晒されている。
下はコンスタンツ公会議
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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