さてその頃東欧でも大事件があったのだ。ポーランドではカジミェシュ大王のもとで、ユダヤ人を受け入れ繁栄を達成し、1370年に崩御する。隣国リトアニアでも、41年にゲディミナス公が亡くなり、プロイセンのチュートン修道騎士団が攻め込む混乱の時代を迎えた。ポーランドでは後継者も80年に亡くなり、10歳の王女ヤドヴィカが王位についた。
リトアニアはゲディミナスの孫、ヤギェウォが即位、2国はチュートン騎士団に対抗するため結婚することにしたのである。リトアニアはカトリックに改宗、王妃ヤドヴィガは神聖ローマ皇帝ヴェンツェルに近付き、ドイツとの地位のお墨付きをもらった。そんな外交手腕のあった王妃は99年26歳の若さで亡くなった。さあたいへんだ。
ヤギェウォはこのとき51歳、改宗してヴワディスワフ2世と名乗っていた。彼は皆の要請を受け入れてそのままポーランド王として留まった。そして自分のライバルだったヴィタウタスをリトアニア公として、ポーランド・リトアニア連合王国ヤギェウォ朝が成立した。王は熱心なキリスト教信者であり、リトアニアを積極的に改宗させた。
しかし、んなことをチュートン騎士団が認めるわきゃない。改宗は偽装だインチキだ。だいいち承認するおおもとの教皇が分裂しているのである。そしてこの大きな連合王国を周辺諸国も警戒した。1409年、プロイセンはボヘミア王ヴァーツラフ4世(ヴェンツェル)、ハンガリー王ジギスムントのダメ兄弟と同盟を組んで、十字軍を発布し、宣戦布告を行った。
下はヤドヴィガとヤギェウォ像。ヤドヴィガは1997年ヨハネ・パウロ2世によって列聖
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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