1410年、ヴェンツェルの母親違いの弟ジギスムントが神聖ローマ皇帝に即位した。彼もとにかく皇帝の権威を強めるには自分が主導して分裂を終わらせることだと思い、3人の教皇に働きかけ、なんとか再度公会議の開催をセッティングした。頼りない兄、ヴァーツラフ4世は、弟にフス問題を投げることにした。
1414年に開かれるコンスタンツ公会議にフスは呼ばれることになり、皇帝は安全を保証した。ボヘミアの騒動は鎮静化せず、フスを支持する市民が贖宥符の販売人に暴行を働き、処刑されるという事件が勃発。実はシエナの聖カタリナもフスと同じことを言っている。彼女は罪びとを癒すことを第一として騒乱を止めた、比較は酷なことかもしれないが。
1411年には、ウィクリフの著書が異端とされ、焚書、情勢はまるでフスには不利だったが、殉教してもいいという覚悟でコンスタンツに向かう。案の定程なく逮捕され幽閉されてしまった。皇帝は抗議したが、もう公会議にはフスを異端とする聖職者がわんさか集まっていたのである。
翌15年に討議の場が設けられたが、十分な論議はさせてもらえず、6月8日、39の条項が示され、撤回を要求されたが、その中にはフスの言っていないものも含まれていた。フスは自分の言ってないものは撤回できないし、聖書がそういうなら撤回する、と述べた。さらにフスに審問が行われたが、彼は撤回せず、7月6日、最終判決が言い渡され、異端として火刑に処された。1999年、教皇ヨハネ・パウロ2世がフスに哀悼の意を述べ復権させた。
下はドラマより火刑シーン
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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