前宗教改革3-フス教皇と皇帝の混乱の中へ

1400年、カール4世の後を継いだ神聖ローマ皇帝ヴェンツェルは、強引な政治を行おうとして失敗し、諸侯にうっとうしがられて廃位されてしまった。しかしカトリック内部で、新たな統一チャンピオンじゃなかった統一教皇を選ぼうという動きがあり、その新教皇候補を支持して皇帝に返り咲こうと野望を抱いた。

ところが、チェコの教会は現ローマ教会支持なので、ボヘミア王ヴァーツラフ4世として出なおした彼は、少数派のウィクリフ支持派を応援して対抗させようとした。1409年ピサ公会議は、新教皇と2人の旧教皇という3人の教皇を生みよけい混乱。翌年プラハ大司教はウィクリフ派の破門を決定、この機に王は教会財産を没収し、教会に介入し、聖職者の取り調べを行った。

フスは国王を支持したが、混乱はボヘミアに広がった。そんな中で新教皇ヨハネス23世は、12年、ローマ教皇を庇護するナポリ討伐のため十字軍をつくろうとし、その資金集めのため贖宥符を発行した。フスは、大義のない戦争で罪を軽くすることはできない、と反対してしまった。民衆はフスとウィクリフ派についた。

びっくりしたのは王である、自分の支持する新教皇に反対するとは飼い犬に手を噛まれる心地だった。大司教から破門されたフスを公職追放し、プラハ大司教のもとで両派の教会会議を行った。フスは「教会論」を著わし、教会は聖書の教えに忠実であるから教会であって、単に教皇の命令に忠実だからではない、と書いた。
下はミュシャ作「スラブ叙事詩」の中の「フスの説教」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。