百年戦争19-狂王シャルル6世の悲劇

フランスも少年王である。1380年11歳のシャルル6世が即位した。賢王の父は、摂政に弟アンジュー公ルイを指名し、自分の顧問団で中央を固めた。ところが叔父達が父の残した官僚を追放して政治を私物化してしまう。イニシアを取ったフィリップは、フランドル伯にもなり、保全のためにバイエルンとの同盟を画策した。

そこでもちあがったのが縁談。その相手がエリザベート、フランス読みではイザボー・ド・バヴィエール、百年戦争を揺り動かした悪女といわれる。85年に14歳で結婚したが、その頃から頭が良かったのだろう、自分で政治をなさいませ、と婿王を義理弟と一緒にインスパイアした。

88年11月3日、シャルル6世は顧問会を招集し、親政の開始を宣言、叔父たちの忠勤を解除し、追放されていた父のブレーンを呼びもどした。新王はブレーンの示唆に従い、3人の叔父の力を使いながら、絶妙なバランス感覚で、フランスを統治していった。シャルル6世の御世は祝福の道をたどっていると思われていたのだ。

1392年8月5日、ブルターニュへ軍旅をしていたシャルル6世は一人の修道僧に会い「この先へ行くと恐ろしいことが起きる」と警告された。注意とうけとって慎重にすすむと、何と王自身がパニックになってお付きの4人を切り殺して卒倒してしまった。それから王は正気をなくし、歴史には「狂王」と記せられ、せっかくまとまったフランスはブルゴーニュ派とアルマニャック派に分裂する。

下は共の者に切りかかるシャルル6世

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。