知略王シャルル5世は完璧主義者である。イングランドから領土を奪回しつつ、十分な資金を使ってフランスの防衛を固めるべく、パリをめぐる地点に次々と城をつくっていった。仏王はパリの城壁も拡大し、真田丸のような出城であったルーブル城も城壁の中に入り、ルーブルは華麗な宮殿へと変貌することになる。そして守備のため新たに建てたのがバスチーユ要塞である。
1373年、王は体調を崩しあわや危篤という事態に陥った。ここでも完璧主義者ぶりを発揮し、自分のみならずフランス王の王位継承規定を「ヴァンセンヌ勅令」でつくりあげる。この勅令で百年戦争に鑑み、女子と女系はきれいに除かれた。継承権がほしい英国はもちろん女系を残し、ここで英仏両国のその後の運命が分かれていく。
完璧につくったつもりが、やはりうまくいかない。1378年からの教会大分裂は教会だけではなく、ローマをイングランド、神聖ローマ、アヴィニョンをフランスが支持して再度戦争の火種をつくることとなった。またブルターニュでジャン4世を承認したことを覆して、忠誠義務違反でブルターニュ併合を宣言して攻め込んだのである。
しかしブルターニュは抵抗しイングランドと同盟の口実を与えてしまった。そしてなんとブルターニュ出身のデュ・ゲクラン司令官まで反乱のきざしを見せ、南部で重税のための反乱も起こってきた。1280年デュ・ゲクランが戦死し、9月16日後を追うようにシャルル5世も崩御した。最後の勅令で竈税を廃止したのは、いかにもこの王らしい。4月にはカタリナも亡くなっている。この2人の運命は妙なところで交差している。
下はマヌエル・アローヨ作「シャルル5世の死」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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