百年戦争17-夢のまた夢カール4世の死

神聖ローマ皇帝カール4世の最後の望みは皇帝位の世襲を実現することだった。自ら選挙制度をつくったくせに世襲とはずいぶん矛盾しているのだ。結局それがますます地域にゴマをすることでしかなかったのである。1375年、皇帝は、デンマーク王ヴァルデマー4世の北海貿易への進出に対して、リューベックを中心とするハンザ同盟の貿易独占を承認した。

翌76年には、ローマ王の息子への委譲資金ねん出のために、イタリア貿易で栄えていたドイツ南西部のシュヴァーベン地方に課税しようとした。ところがこれは都市の反発を呼び、シュヴァーベン都市同盟が結成され抵抗した。皇帝は、都市を包囲しようとするが、皇帝の勝手で軍役を命じられた諸侯も反発し、結局都市同盟を承認せざるをえない。

都市同盟を承認し、特権を認めたことで、ますますドイツの分裂は深まり、諸侯と都市の対立が加わった。一方、ドイツの特徴である都市を中心とした学芸の発展には効果があった。息子ヴェンツェルはドイツ王にもなり、着々と世襲を準備、次男ジギスムントにはハンガリー女王マーリアと結婚させてハンガリーを手中に入れる準備もした。

今やボヘミアは繁栄の絶頂に居た。1378年すべての準備を完璧に終えてカール4世は崩御した。この後息子達の代で、神聖ローマ皇帝位はおろか、ボヘミアまでハプスブルク家に取られるとは誰が考え得ただろうか?すべてはオーストリア大公の特権を与えたことから出たのだから、運命とはわからないものである。ちょうど家康を関東に封じ込めようとして大領を与えた秀吉に例えられようか?

下はカール4世の御行


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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。