青池保子の「アル・カサル王城」でおなじみドン・ペドロことペドロ1世、彼と異母兄エンリケとはまさに宿命のライバル、互いに権力を握ったり、追い出されたりしていた。王は王権を強化しようとして国内に敵をつくっており、フランスも王族の正室を幽閉されたので関係が悪かった。エンリケは、フランス王、アラゴン王と同盟して1366年反乱を起こす。
仏王は、あぶれた傭兵を送りこみゲクランに指揮をまかせ、連勝を重ね、ペドロは一時国内を脱出、しかしアキテーヌを支配していた猛将エドワード黒太子に、国を割譲するという条件で同盟した。黒太子はナバラ王と共に大軍を率いて侵攻、エンリケと仏軍もゲリラ戦を行い小競り合いでは勝利したが、1367年ナヘラで会戦してペドロが勝利した。
しかしペドロ1世は約束を破って領土を割譲せず、黒太子は病気にかかって、戦線を離脱したあと帰ってこなかった。このため戦況は逆転、69年のモンティエルの戦いでペドロは戦死し、最終的に勝利したエンリケが、カスティーリアでトラスタマラ王朝を開いた。
一方、病気にかかった黒太子は、連戦のつけがたまって借金で首がまわらなくなり、アキテーヌに竈税(人頭税)を課した。領主達はパリの高等法院に提訴し、黒太子が拒否したため、仏王は没収を宣言、黒太子は動けず、勝利したリモージュで住民を虐殺したため、さらに反発が強まり、結局アキテーヌの大半を奪回されて、71年イングランドに帰還して実権を取るが、76年47歳で逝去した。
下は青池保子のアルカサル右のカッコいいのがペドロ1世
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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