百年戦争12-時代外れのアレクサンドリア十字軍

キプロス王ピエール1世は、かんじんのフランス王が崩御し、十字軍の諸国からの支援を得ることができなかった。ところが力を貸す(よけいな)一大集団があった、聖ヨハネ修道騎士団である。フィリップ4世のところで書いたように、聖ヨハネは、テンプル騎士団の資産を受け継いで裕福になっていた。1306年にはロードス島に侵攻してここを実質本部としていたのである。

聖ヨハネもテンプルと同様であり、平和な世ではいつ処分されるかわからない。この十字軍に乗ったのも自然というべきだろう。それやこれやの冒険を求める騎士達の相当な軍勢が集まって、1365年6月イタリアからロードス島を経て、アレクサンドリア攻撃に向かった。

とんだ迷惑はアレクサンドリアである。門の上から弓で攻撃し、かなりの損害を与えたが、もともと戦意も乏しく、門が開けられてからは、われ先にと逃亡していった。もともと十字軍とは名ばかりの、はみだし者の集まりは略奪に走り、2万人が殺害されたとのことだ。そして略奪が終わるとさっさと出て行ったのである。

市外では、マムルーク朝の正規軍が迫っており、結局この十字軍は、1週間でアレクサンドリアから撤退した。この十字軍についてペトラルカは、ボッカチオに対して、撤退は残念という手紙を送っている。まだまだ人文主義者といってもこのような認識だったのだろう。この十字軍狂いのキプロス王はその後もシリアを攻撃したが、69年に暗殺された。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。