神聖ローマではカール4世の「金印勅書」で、領地争いの私闘(フェード)が禁止、有力諸侯の分割契約により奇妙な平和ができていた。皇帝は実質ボヘミア王にすぎなくなり、せっせとボヘミアの国力充実を行った。彼の治世において、東欧と中央を結ぶ拠点として繁栄を示し、首都は「黄金のプラハ」と称された。
ところが、皇帝に難題をふっかけてくる「大うつけ」が居た。ハプスブルク家オーストリアのルドルフ4世公である。彼は、1358年に父が亡くなると、20歳で統治者となる。彼は就任直後、徹底的な独裁体制をつくって急進的な改革を行った。何と領主達の土地領有権を廃止し、買い主の求めに応じた土地の売却を命じたのである。
さらに彼は、ウィーンにツンフト禁止令を出し、新事業者は3年間無税を宣言した、信長の「楽市楽座」政策をやったのである。このためウィーンは活気を呈し、新たな建物がどんどん建っていった。公は、そこで1割の消費税を課し、教会にも課税を行って、財政再建も行うという、理想的な改革を達成したのである。
自信を深めた公は、60年オーストリア公に加えてプファルツ「大公」を宣言した。実は皇帝選出の7選帝侯からはハプスブルクとバイエルンが抜かれていた。そこで大公は選帝侯よりも上と言いだした。この証拠となる特許状と手紙は全くの偽造。皇帝カール4世より鑑定を依頼されたペトラルカは、「これを書いた御仁は全くのおおうつけです」と言った。しかし今や名ばかりの皇帝はこれを黙認し、以後ハプスブルク家は公式的に大公となる。この革命児ルドルフ4世はチロルも奪取、信長よりさらに短い26歳で1365年に逝去し、その後の改革はソフトランディングすることができた。
下はルドルフ4世がもたらしたオーストリア大公冠(ルドルフ4世当時のものではない)
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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