ペスト禍と共に起きたのがユダヤ人虐殺である。もちろんこれはペストのスケープゴードにされただけで、今に始まったことではなかった。1320年には、ボルドーや南仏で虐殺が起きた。ユダヤ人はラテラノ公会議以降、とがったユダヤ帽や黄色の布をつけるよう強制され、イングランドやフランスから追放されたが、教皇は虐殺には反対した。
ユダヤ人への偏見に大きな役割を果たしたのは、王による借金解消目当ての口実や、教会の範囲外の民間説話や宗教劇のようである。それを背景にして、特にドイツでは、ペストの原因はユダヤ人が井戸に入れた毒だとされて、犯人が民衆の拷問によって白状させられ、各地でユダヤ人虐殺が発生した。
ペストが起こったコンスタンツでは、ユダヤ人が2軒の家に閉じ込められて家ごと焼かれた。スイスのチューリヒやバーゼルでも同様の事件が起こっている。ストラスブールでは町の参事会議員は「証拠がない」と反対したが、パニックになった町の住民を止めることはできなかった。フランクフルトには大きなユダヤ人街があったが焼打ちに会い、その財産皇帝カール4世の借金の穴埋めとされた。皇帝の借金の担保はユダヤ人だったのだ。
教皇クレメンス6世はアヴィニョンなどではユダヤ人を保護し、ユダヤ人虐殺阻止のお触れを出した。西欧各地でペストで起こったユダヤ人迫害は、第二次世界大戦前では最大だった。ユダヤ人はポーランドや東欧に行くことになった。イタリアだけはユダヤ人の虐殺はなかったようだ。
下はストラスブールのユダヤ人虐殺
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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