百年戦争5-カレーの市民とボッカネグラ

クレシーの戦いの勝利の後、英軍は意気揚々と撤退し始めた。なぜかというと補給も金もなく、これ以上の戦闘ができなかったのである。戦略論から言うと、フランスは決戦する必要がなかった。続いて起こったのが「カレー包囲戦」である。カレーという街は、大陸とブリテン島への最短距離の街であり、現代ではユーロトンネルの入り口となっている。

しかもこの街は二重の城壁と濠を持っており、難攻不落の体制であった。英軍は攻略をあきらめ、冬から海上封鎖も含めた兵糧戦術に出たのである。仏軍は近くに到着し、にらみ合いが続いたがうかつに攻め込めない。1346年7月31日、仏軍は撤退し、市は開城され、この街は1558年まで英軍の拠点となった。開城の際に、市民6人が自分の処刑で、全市民の救援を願い出て、裸足で首にロープを巻いて市外へ出た、という伝説があり、ロダンは傑作「カレーの市民」像を制作した。ただしイギリスは否定している。

クレシーの戦いで、ジェノヴァ人が傭兵として、海軍や陸で参加したが、実は彼らは、ジェノバで負けて追い出された貴族派の人間である。地中海貿易で儲けたジェノヴァは、ミラノと違って平民が成りあがりやすく、平民派が台頭して権力を握った。その時代統領となったのが、海賊あがりのシモン・ボッカネグラという男。

彼は市民階級ではなかったが、平民派におされて統領となり、貴族派との調停を試みたが、結局貴族派が反乱を起こして、国外退去を命じたのであった。その後、終身統領となり、この難しい街のかじ取りを行ったが、1363年、ついに貴族派に毒殺されて生涯を終えた。後にヴェルディが彼の物語を傑作オペラにして名は永久に残ることとなった。

下はドミンゴのかなり老いたシモン・ボッカネグラ。歳とってからの当たり役

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。