ペスト襲来1-中国より来たる死上陸

1347年9月27日、英仏は教皇の仲介により休戦となった。ある事情で戦争どころではなくなったのである。まず軍資金。エドワード3世は百年戦争の資金をイタリア商人からしこたま借りていた。クリシーの戦いの前にこの金のデフォルト宣言をしたので、資金がなくなったのである。これはフィレンツェで金融危機を引き起こす。

そしてペストの大流行である。ペストは何回かヨーロッパで流行したことはあったがこの時期の大流行は人口の3分の1を死に追いやり、その後のヨーロッパを変えたといわれる。2014年この期のペストの起源がアジアだとわかった。このペストはまず中国で流行して人口の半分を死亡させた後、モンゴルのキプチャクによって包囲されたクリミア半島を襲った。中国からの毛皮などのノミから感染したようである。

そしてその後、ペストはコンスタンチノープルを襲い、ビザンティンからオスマンに抵抗する力を奪ってしまった。皇帝の親族さえ死亡した。そして秋には船に乗ってイタリアのメッシーナに上陸し、イタリアの海岸都市を蹂躙し、あれほど繁栄した町の機能がすべて停止した。

そしてペストは、ポー川を遡って、翌48年イタリア内陸部のフィレンツェなどの都市を襲った。町は死体であふれ、人は他人との接触を極度に恐れるようになった。その中でミラノだけは他都市の人間を一切入れず、町に閉じこもり、ペスト禍から逃れることができた唯一の町となった。

下はパレルモのペストを描いた「死の勝利」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。