百年戦争3-オルハン、トルコ半島制圧

オスマンの祖、オスマン・ベイは、1325年くらいに崩御し、息子オルハンが継いだ。彼は父が攻めていたブルサを陥落させ、ここが最初の首都となった。ブルサはシルクロード西端に位置した交易都市で、この地を制圧したことはその後の発展を保証するものだった。オルハンは、商人には課税せず、物品に関税をかけて商人を保護した。

1329年にはベレカノンの戦いでビザンティン正規軍に勝利、31年には古都ニカイアを制圧した。オスマンにはキリスト教徒も居たので、抵抗は少なかったのだ。オスマンは「啓典の民」つまりセム氏1神教のユダヤ教、キリスト教徒は信仰を許可されたが初期の事情による。37年にはニコメディアを手に入れ、晩年の52年にはコンスタンチノープル対岸のスクタリに迫った。

オスマンは国家としての体裁を整えねばならなかったが、この点イスラムは便利である。コーランには信仰や日常生活の規則や法律が一体化されている。遊牧民であるアラブ人には実に便利な経典であった。オスマンはイスラム法(シャリーア)を基として、アナトリアのイスラム法学者を迎えいれて、統治制度をつくっていった。

またオスマンの特徴となる宰相制度がつくられ、外来のイスラム法学者のアラエッティンが就任した。そして出自がさまざまな者達が加わってくるなかで、スルタン直属の親衛軍が必要となってきた。サラディンの頃のイスラムは、西欧と同じく封建騎士であった。イスラムも別の理由から常備軍を創設することとなった。

下は濃い赤がオルハンの初期で赤全体が末期

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。