教皇庁捕囚10-狙われたテンプル騎士団

テンプル騎士団、エルサレムに本部があったこの修道騎士団は、十字軍国家崩壊後本部をパリに移していた。その本部がタンプル塔だが、装飾もなく窓もない無骨な塔だった。そして剣を持った修道騎士達、聖地でこそノーマルだったが、パリ市民にとっては異様な存在だった。彼らは何をしているのだろう?妙な噂がたってもおかしくない。

しかも彼らは金を持っていた。十字軍華やかなりし時代、聖地に行けない貴族達はその代わりに彼らに競って寄進をしたのである。そして彼らはそれをもとでに高利貸しをしたのである。まあ当然恨みを買うことも多い。そしてお得意様がこの王家フィリップ4世であった。ところがだんだん借金が貯まっていくと当然うっとうしくなるのである。

1307年、王は教皇に許可をとり、テンプル騎士団への捜査を開始する。このトップがアナーニ事件の実行責任者であった実質宰相ギョーム・ド・ノガレーであった。事件の発覚後の言葉から見るに、王はどうも彼に騙されていた感があるが、彼は彼なりに王家のために汚れ役となっていたのだろう。そして10月13日にパリのテンプル騎士団は全員逮捕された。

次の日曜日、全国三部会が招集され、国王は彼らの罪状を述べた。入団にあたってはキリスト像に3回唾を吐き、3回侮辱を浴びせ、男どうしでキスをしていたというのである。彼らは異端と男色の罪を着せられ、フランスの息のかかった異端審問官によって審議されることとなった。

下は1795年のタンプル塔だとのことだが、ここに囚われていたマリー・アントワネットが処刑された少し後の年

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。