十字軍後8-十字軍ユーラシア大戦と交流

十字軍は、地中海世界覇権をめざす歴史の一部である。ローマ帝国に続き、ユスティニアヌス帝後、イスラム帝国が圧倒した。イスラムはイベリア半島を占領し、欧州海岸を荒らした。カール大帝はイスラム、東ローマに追いつくことが目標だったのだ。

ゲルマン、ノルマンをも組み込んでキリスト教で統一され自信を持った西方世界は、やはり豊かな地中海岸制覇をめざした。第1回の大成功は想定以上であり、それは英雄サラディンによる新しいイスラムの統一をもたらした。そしてその後はほとんど成功していない。

しかし十字軍は東方の豊かな文物を西方にもたらした。砂糖や果実はもちろん、化学、医学、数学、古典思想まで。これらは次の時代に、それを蓄積したイタリアによってルネサンスとして開花する。そして最後のショックはモンゴルの侵略でもたらされた中国文明だった。

モンゴルがもたらした最大のものは火薬である。これはイスラムで実用化されて、アッコ包囲戦では炸裂弾が投げ込まれ、グラナダ防衛に使われて西方に伝搬した。西方からは知が輸出され、1271年頃中国に着いたマルコ・ポーロに元皇帝フビライは、自由7学科の教授100人を要請した。そしてマルコが始めて日本を西方に紹介する。

下はモンゴル首都ウランバートルに立つマルコ・ポーロ像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。