十字軍後7-十字軍国家の最期

ついに十字軍国家最期の刻がやってきた。シャルルの死後、マムルーク朝のカラウンは休戦協定を反故にして、攻撃を開始した。1287年4月末、ラタキアが陥落し、男は皆殺し、女子供は奴隷にされた。そして1289年、由緒ある都市、トリポリが陥落した。この街の攻撃には大型投石砲19台を投入、総攻撃で徹底破壊された。

住民は容赦なく殺りくされ、捕虜はアレクサンドリアに連行されて造船に酷使された。交易を重んじるイスラムが、重宝している自分たちをせん滅するはずがないという考えは甘かった。マムルーク朝はそれまでのイスラムとは違う軍国国家なのだった。

1290年、カラウンが崩御し、一息ついたというのに、十字軍側が攻撃の口実をつくってしまった。イタリアから来た巡礼者が、アッコでイスラム商人を殺害し、それが暴動に発展してしまった。後を継いだスルタン、ハリルは総攻撃を決めた。その数騎士6万、歩兵16万人にのぼったという。

1291年、ついにアッコが陥落、ここでも町は破壊され、キリスト教住民は女子供に至るまで惨殺された。ハリルはさらにベイルート、シドンなどの都市を次々に陥落してゆき、欧州に使われないよう、徹底的に破壊させた。200年にわたる聖地をめぐるキリスト教国とイスラムの争奪戦はついに終わりを見たのである。

下はアッコ陥落戦(部分)

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。