十字軍後3-シチリアの晩祷!仏に反乱

ビザンティン遠征直前の1281年3月29日復活祭、シチリアのパレルモ近くにある聖霊教会での夕べの祈りの鐘が鳴り始めると、いっせいに「フランス人に死を!」という怒声が起こり、住民の暴動が始まり、全島に広がった。「シチリアの晩祷」事件である。

もともとシチリアは多民族風土であり、我が物顔に振る舞うフランス人を良く思わず、王となったシャルルは、まだ民衆の心を掌握していないうえに、十字軍やビザンティン遠征のための税金をかけていた。そして遠征のために集まってきたフランスの兵士に地元女性が暴行されたことから、積った怒りが爆発したのである、まあ現代の日本でもあるような。

しかしこの黒幕は、ビザンティンのようだ。ビザンティンは、フリードリヒ2世の元寵臣であった者に金を渡してこの暴動を周到に計画した。この暴動で4000人のフランス人が殺害され、準備された大艦隊は焼き討ちされて大被害に会い、遠征は不可能となった。シャルルも反撃に出て、暴動は鎮圧されるかに見えた。

しかし8月、もう一人の仕掛け人アラゴン王ペドロ3世が乗り込んできた。彼の王妃はフリードリヒ2世の一族で、継承権を持っており、シチリア欲しさにこの計画に乗ったのだ。シチリアは今度はアラゴンのものとなり、シャルルはナポリに退却を与儀なくされた。うーんまるで現代のシリアのようだ。この事件は後年ヴェルディの名作オペラになって永遠に残ることとなった。

下はフランチェスコ・アイエツ作「シチリアの晩祷」とヴェルディのオペラ序曲

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。