十字軍後4-ルイ9世の弟と息子共に死す

シャルルはナポリに退き、教皇もアラゴンへの十字軍を叫び、なんとアラゴン王国まで取り上げると宣言した。これで困ったのは新フランス王フィリップ3世である。彼は、父ルイ9世の死後25歳で王位についたが、父ほど敬虔ではなく、むしろ醒めていた。

仏王の宮廷では、まず母マルグリット派、側近ピエール・ド・ラブロス派、そして1274年に再婚した王妃マリー・ド・ブラバン派らが、勢力を競い、前王からあっという間に華やかとなった。それもそれぞれイギリス、ドイツの後ろ盾があったからややこしい。しかし父のもとで確立されたフランス王制を使って堅実に勢力を拡大した。

彼は王家宿願のシャンパーニュの女伯を、息子と婚姻をさせて、王家のものとしてしまう。さらに独立している諸侯にも代官を派遣して、重要事項はすべてパリの高等法院で処理することとした。いわば父が個人でやったことをシステム化したのである。フランスの中央集権化はますます進み、次王で万全となる。

しかしそこへ降って湧いたのがアラゴン遠征だった。叔父シャルルに続いて、1285年にフィリップ3世もピレネーを越えてアラゴンに攻め込むが、シャルルが病死し、アラゴン艦隊に海戦で敗れ、その退却の途上、やはり病で40歳の若さで、この世とお別れすることとなった。シャルルの夢は、兄の息子の仏王を巻き添えにして潰えたのである。

かなり可哀想なフィリップ3世のジャニーズ系肖像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。