十字軍後2-弟シャルルビザンティン攻めへ

ルイ王亡き後の欧州の頼みの綱は、弟にしてシチリア王シャルル・ダンジューだった。彼はフリードリヒ2世の遺産であるシチリア海軍を強化し、イスラム海軍に備えた。見据えるは再建されたビザンティンである。ビザンティンがモンゴルやイスラムに制されれば、欧州は危機に落ちる、その危惧はその後オスマンによって実証されるわけだが。

ともかくシャルルは、ハンガリーを支配下に置き、さらにアルバニア王となって、ビザンティンに圧力をかけた。1271年第2回リヨン公会議が行われ、その席にモンゴルのイルハーン代表も出席し、欧州との同盟を提案した。1277年、シャルルは代理人をエルサレムに派遣して、エルサレム王の地位を得た。

しかし1282年、イルハーンのアガバが亡くなると、後を継いだガザンは国をイスラムにしてしまい、キリスト教会を破壊してしまった。また1279年、マルムーク朝のスルタンとなったカラウンによって、勢いが復活、ビザンティン皇帝ミハイルはイスラムに囲まれることとなり、やむをえずイスラムとの連携に舵を切った。

1281年、フランス人マルティネス4世が教皇となり、ラテン帝国回復を宣言した。時は満てり、シャルルはビザンティン侵攻を決意し、艦隊をシチリアに結集させた。しかしそのシチリアで思わぬ事態が起きるのである。

下はなかなかりりしいシャルル・ダンジュー像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。