十字軍後1-バイバルスの快進撃

第8回十字軍の撤退後、マルムーク朝のバイバルスは快進撃を開始する。最大の目標は、聖ヨハネ騎士団の大要塞「クラック・デ・シュバリエ」である。30mの外壁に7つの塔を備えて堅固な土地に聳える要塞はまさに難航不落。しかしバイバルスは71年4月8日、偽のトリポリ伯の撤退命令を出し、騎士団を撤退させた後、この要塞を陥落させた。

その後、テンプル騎士団の要塞、ドイツ騎士団のモンフォート要塞を次々に落としていくバイバルスに、イスラムは英雄と讃え、欧州は「カエサルの如き英雄、ネロの如き暴君」と恐れた。シチリア王シャルルは、73年バイバルスと10年10カ月の休戦条約を結び、残りのアッコ、トリポリの十字軍国家は一息つくことができた。

アッコにはまだ英国皇太子エドワードの軍が残っていた。これを目ざわりと思ったバイバルスは、72年休戦交渉中に、新しく傘下に収めたアサシン教団に暗殺をさせる。エドワードは、毒塗りの短剣で刺されたが、危うく一命をとりとめ、9月に帰国せざるをえなくなった。

この休戦を利用してバイバルスは、モンゴルのイルハーンに勝利を収め、スーダンにも勢力を広げた。彼は十字軍とモンゴルを撃退し、レヴァントと北アフリカのイスラム圏を再び強固にして、1276年、崩御した。欧州から悪魔のように言われたバイバルスだが、富に執着せず、弱者救済に努めた良きスルタンだったようだ。

下はギュスターブ・ドレ作「エドワードとアサシン」王妃に毒を吸い出して助かったという逸話もある

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。