第8回十字軍10-ルイ王チュニジアに死す

ルイ9世は1270年2月にノートルダムでミサを行い、サンドニの旗を持ち、3月にヴァンセンヌ城で王妃に別れを告げた、多分死を覚悟していたのだろう。7月にサルディニア島に全軍が集結し、チュニス行きが告げられた。しかしルイの体力は弱り、疫病で100人ほどが下船した。

7月18日、十字軍はティ二ジアの古代都市カルタゴの近くに上陸した。しかし約束とは違い、現地兵達が攻撃してきた。十字軍はこれを撃退し、戦闘状態に入ってしまった。もとより和睦の意思で来ており、戦闘は望むところではない。軍はそこに留まった。ところがチュニスのカリフからは「もはや戦いもやむなし」と連絡が来たのである。

人を信じるルイはやはり裏切られた。甘いといえばそれまでだがこれが聖王ルイである。ルイはカルタゴに留まり、弟のシチリアのシャルルに援軍を要請した。しかしシャルルも準備がかかり、その間に前回と同じく疫病が広がった。

それまでから病身であったルイは重病に陥った。もはや死期を悟った王は息子を呼び、亡き後の教訓を伝えた。そして8月24日、彼はついに死の床につくこととなった。その日の夜、彼は低く「ああエルサレム、エルサレム」と呻いたという。その翌日彼は、主に軍が全員帰国できることを祈り、臨終の司式を行ったあと最後に「主よ、私の魂を御手にゆだねます」と祈ったあと帰天した。時あたかもキリストの死の同時刻だったと伝えられる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。