フレグ亡き後その子アバカがイルハーンを継いだ。彼はキプチャクの北からの攻撃とマムルークの西からの攻撃に苦戦した。ローマ教皇クレメンス4世はアバカにもマムルークへの十字軍参加の使者を出したが、これが応じてきたのである。さらにシャルルの圧力に耐えかねたビザンティン皇帝ミカエルも応じてきた。
西欧に運が味方しているようだった。対マムルーク包囲網により、バイバルスは防戦の構えをとらざるを得なくなった。ルイ王は、病がちな身体をおしてこの仕事にかかった。ところが1269年に、イルハーンで紛争が起こり、アバカが共同作戦の延期を申し入れてきた。
再び頓挫かと思いきやここになんとチュニジアからの使者も来た。それによると本当のイスラムのカリフはチュニスにおり、「マムルークのカリフなど認めておらず、キリスト教との和睦を求めている」と言うではないか。チュニジアのカリフは、バグダードのカリフに対して副カリフの役割だった。バグダード陥落の後正当カリフを名乗ったのだ。
チュニジアは聖アウグスティヌスが出て、キリスト教徒も居り、シチリアと交易もしていた。チュニジアはエジプトの隣国であってここと連携できれば、エジプトをけん制できる。さらにイルハーンが立て直せば、東西でマムルークを挟撃できるではないか。ルイ王には時間がなかった。彼はチュニスに行くことにした.。
下はアフリカに行こうとするルイ9世
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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