世界大戦へ25-シュリーフェンプラン

サラエボ事件でオーストリア帝国では好戦論が強まった。セルビアを討ち、バルカンを安定させる絶好のチャンスだというのである。皮肉にも故フランツ・フェルディナンドはセルビアとの戦争には反対だった。しかし問題はロシアの介入だった、そのためドイツ皇帝にお伺いを立てた。

なんと大使に面会した皇帝ウィルヘルム2世は「ドイツの支援をあてにしてよく、ロシアと戦争になった場合ドイツも参戦する」と約束したという、これが後世有名な「白紙委任状」というヤツである。そしてセルビアへの行動は「遅延すべからず」とも言ったそうだ。

実はドイツは戦争計画をすでに作成していた、それが有名な「シュリーフェンプラン」である。これはフランス、ロシアとの二正面作戦を前提として、まずベルギーを通過して背後からフランスを叩き、その後ロシアと対峙するという作戦だった、戦争するならロシアもフランスも準備できてない早期が良い。

普仏戦争を勝利させたモロトケの甥(小モロトケ)は、ドイツ包囲網にあきあきして戦いで打ち破ろうと考えていた。このドイツの回答を得て、墺帝国ではセルビアが飲めない要求をすることになった。軍部からセルビア民族主義者を追放し、民族主義団体を解散させ、ベオグラードに墺帝国の監視機関を置くことだった。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。