英国はヘンリー3世、フランスへの遠征費用11万ポンドを課税しようとするが「アンタの勝手」と議会は拒否。さらに1258年教皇の「シチリア王にしてやる」との誘いに乗り、またしても課税しようとしたが、議会は我慢ならぬ、とシモン・ド・モンフォールを先頭に武装集結した。
シモンはアルビジョワ戦争の十字軍司令官の息子だが、一時期負けたとき親父と離れて英国に行った。そこで王妹を妻にするほどヘンリー3世の寵臣となったが、フランスに介入した戦争で失敗し、それ以後仲たがいして、今度は議会の急先鋒となったのだ。
議会派は「オックスフォード条項」翌年「ウェストミンスター条項」を王に承認させて、王権を制限した。その対立の仲裁に頼まれたが何と仏王ルイ9世である。英王妃は妹の間柄、ルイは、ガスコーニュの英領地を安堵し、ノルマンディーを手放す代わりに13万4千リーブルを払い、英王室を課税から解放、王権の制限を破棄し、和解させようとした。
仏貴族からの非難にルイは「子供の代まで平和な世をつくるため」と言った。しかし子供の代に百年戦争の緒が切られるのだが。またルイは隣接するアラゴンとの国境問題も平和裡に解決、国内の貴族の相続問題も解決し、「天下和合王」と称されるようになった。
下はルイ9世がイングランドを仲裁したアミアン裁定
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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